もぐもぐつがいのおはなし
野性のカンガルーのおおきせんせーの何がいやかって、いつもガハハガハハとやかましいし、口から唾をいっぱい飛ばしてしゃべるからなのです。それにとっても乱暴で、うっかり捕まってしまうとすぐにぎゅうっと抱きしめられてしまうからなのです。押しつぶされてしまうという方がいいのかも。背中の骨がみしみしいって、ぐえっとなるのです。
ですので、さぶろうは野性のカンガルーのおおきせんせーが来ていると聞いて、急に大切な用事を思い出しました。
「わたしきのこ取らなきゃ。らいぞう行こう」
らいぞうの手を取って行こうとしましたが、らいぞうが動きません。
「逃げるなよ」
「約束しただろ」
へいすけとはちざえもんがぷんぷん怒って言いました。らいぞうもうんと頷きました。
野性のカンガルーのおおきせんせーは野性のカンガルーだけあって、いろんな所を放浪していました。にんげんのいる村や町、大きな都なんかへ行っては、珍しいものを集めて見せてくれるのです。どうやって持ってくるのか、時々たうふの欠片をくれることもありました。
みんな目的は違いましたが、おおきせんせーに会ってお話を聞くことには賛成なのです。誰だって、ぎゅうっでみしみしのぐえっはいやですが、つまるところ誰かが犠牲になればいいのです。
四匹は、「みんなで行って捕まったやつは運が悪かったと思うこと!」という約束をしていました。そうなると、さぶろうだけ逃げるなんて許されません。
「面白いお話聞かせてくれるかも」
らいぞうはちょっと楽しみそうに言いました。
「らいぞう、行きたいの」
「うん」
「じゃあ行こうね!」
「なんだよおまえ」
はちざえもんがぺしっと叩いてきましたが、さぶろうはひょいっとよけて、先頭に立って歩き出しました。
らいぞうが行きたいのなら仕方がありません。それに、さぶろうは今まで捕まったことなんかないのです。この前はへいすけでしたし、その前は知らない兎でした。らいぞうが一度ありましたが、さぶろうが本気で噛みついたので、おおきせんせーは「なんじゃこりゃ」と言って二匹の首を掴んでぷらぷらした後逃がしてくれました。
(今日は、はちざえもんが捕まってるうちに逃げればいいしね!)
そう思っていました。
でも捕まってみて、さぶろうは(こなけりゃよかった!!)と思いました。ぎゅうのみしみしのぐえっはかなりきつかったのです。みしみしではなくってメリメリでしたし。
「はなせよー!」
さぶろうは叫びましたが、おおきせんせーは筋肉もりもりの腕でしっかり捕まえていて逃がしてくれません。
「お前さぶろうの方じゃな」
「らいぞ」
さぶろうはあたりをきょろきょろ見回してみましたが、らいぞうの姿はありません。いえ、よーく見てみると、遠くの藪のところから心配そうな顔が覗いていました。らいぞうはこっちへ手をふって、口の形で「さ・き・に・か・え・る・ね!」と言いました。
「……らいぞう」
さぶろうは不貞腐れました。もうどうとでもなれです。
「前に噛みついてくれたの」
「らいぞうをぎゅうってするから」
「そんなことくらいで噛むな! それにな、何をしとるか知らんがお前狐だろう」
さぶろうはぎくっとしましたが、そしらぬ顔で言いました。
「らいぞうの弟のさぶろうだよ」
「いやいや、狐じゃろーが!」
「どこから見てもらいぞうの弟のさぶろうだよ」
「ちょっと中を見せてみろ」
と言っておおきせんせーがさぶろうの首のところをごそごそさぐった途端、さぶろうが本気で叫びました。
「やめろおおおおおおああああ!」
「な、なんじゃあ」
「やめないとただじゃすまさないぞおおおおおああああ!」
おおきせんせーは危険を感じました。何があぶないって、世界観です。森のはいけいが歪んで、べらっとはがれたところがありました。おおきせんせーは慌ててテープでぺたぺた止めました。
「わかったわかった! 見んからもう黙れ!」
「……黙るけど、どう見てもらいぞうの弟のさぶろうだよ」
「そりゃもういいわい! しかし、ただじゃすまさんって何をするつもりだ?」
「五年後くらいに足腰が弱ったところで復讐しようかなって思ったよ」
ややリアルな数字が出て来たので、おおきせんせーは嫌な汗をかきました。
「まあ、いいか……でもなあ、お前ちょっと考えてみろ。誤魔化したところでどっちにしろお前は群れに帰らにゃならんし、らいぞうもやっぱり群れの中で生きにゃならんだろーが」
「……群れなんて知らないよ。わたしずっとらいぞうといるんだから」
「んー? らいぞうは雌じゃったかのー? 狐と狸の掟はよくわからんが、まあそんなに一緒になりたいなら早いうちつがいにでもなっておけ!」
さぶろうはちょっと首をかしげました。
「つがいになるとずっと一緒?」
「そりゃあそうだ」
「ふーん……つがいってどうするの」
「……根性だ」
「ええ?」
「どこんじょうじゃ!」
おおきせんせーはTPOをわきまえました。
「どこんじょうじゃわからないよ。どこんじょう馬鹿」
「このっ!」
おおきせんせーはさぶろうをごつんと殴りました。
「いたっ……くないよ」
さぶろうはものすごく痛かったのですが、らいぞうがいなかったので頭をごしごしして強がりました。痛いよと言って得をするのはらいぞうが甘えさせてくれる時だけです。ちょっと涙出ちゃってますけどね。
「アホか」
ところで、殴った弾みでおおきせんせーのポケットからぴょんと飛び出したものがあります。さぶろうはすぐそれに気付いて叫びました。
「兎だ! いただきます!」
「やめーい!」
おおきせんせーが止めようとしましたが、さぶろうはさっと兎を捕まえて抱っこしました。
「この兎食べてもいい兎だよ」
「わしのラビちゃんは、食べちゃいかん兎じゃ」
「食べてもいい兎だかららいぞうに持って帰ろうっと」
そうなのです。今後のお話にもやや関係のあることですが、森には食べてもいい子と食べちゃいけない仔が住んでいました。食べてもいい子はものを喋らないし立って歩きません。でも食べちゃいけない仔は喋ったり歩いたりするのです。
ラビちゃんは喋らずにぴょんぴょん飛んでいるだけですので、食べてもいい兎です。それに丸々としてとってもおいしそうです。らいぞうはりんごが大好きでしたが、食べてもいい鳥や食べてもいい兎や食べてもいいカエルのお肉も大好きなのです。
さぶろうがきゅっとしめちゃおうとしたところで、おおきせんせーがものすごく怖い顔をしてさぶろうからラビちゃんを奪い返しました。
「いかんと言っとるだろうが……」
さぶろうはものすごく怖かったのですが、らいぞうがいなかったので顔をごしごしして強がりました。それでも泣いちゃいそうだったので、こう言って誤魔化しました。
「……くさいよー。おやじくさいよー」
「やっかましいわい!」
カンガルーのポケットから出て来たものはあらかたくさいのです。
おおきせんせーは食べてもいいけど食べちゃいけない子の話と一緒に、食べちゃいけないけど食べたくなる仔の話をしました。さぶろうは前半は聞き流しましたが、後半は真面目に聞いていて、何だかわかったような気がしてきました。
「そういえば、おまんじゅうやおもちになったらいぞうをもぐもぐしたことがあるよ。らいぞうがおいしそうだから。できるなら本当に食べちゃいたいって思うこともあるなあ……食べないけど、食べたいんだ。それでたくさんもぐもぐしたら、つがいなの?」
「あーまあ、そんな感じじゃろー。お前がもっと野性に目覚めたらわかることだからな、わしはこれから新種のらっきょを探すことになっとるから、もう帰った帰った!」
「次は野性かあ。野性って」
「帰った帰ったあ!」
どうやらおおきせんせーは逃げるものを追いかけるのが好きみたいです。自分でらっきょを持って追い回したりするのはいいのですが、本を返せとか言って地の果てまで追いかけて来られたりするのは勘弁して欲しいタイプなのです。
まあいいかと思いながらさぶろうはちょっと歩いて、やっぱり振り返りました。
「あのねえ」
「帰った帰った!」
「ひとつだけ聞くけど、何でカンガルーが兎を飼ってるの?」
「キティちゃんも猫を飼っとるじゃろーが」
「ふーん。雄なのにポケットついてるのは何で?」
「利便性だな」
「へーえ。あと野性って」
「帰った帰ったあ!」
ぽてぽて歩きながら、さぶろうはらいぞうのお腹のところについて考えてみました。おまんじゅうやおもちのふりをして丸くなっている時の背中について考えてみました。
すると、らいぞうをもぐもぐしたくなりました。とっても、たくさん、もぐもぐしたくなりました。
「!」
さぶろうは、たぶん野性に目覚めました! 野性とは自然のままの粗野な性質のことです!
あとはつがいになるだけです。できるだけ急いでさぶろうはらいぞうのところへ行きました。らいぞうはちょうどお昼寝しているところでした。さぶろうは、小声で呼びかけました。
「らいぞう、らいぞう、寝ちゃってる……?」
「寝てないよー」
らいぞうはころっとこっちへ頭を向けて、さぶろうを見上げました。さぶろうは、一瞬もじもじしそうになりましたが思いなおしました。真面目な顔で言いました。
「これから、らいぞうをもぐもぐするよ!」
大きな声でした。らいぞうは驚いてぱっちり目を開けました。よいしょっと起き上がって、頑張ってカッコいい顔を続けているさぶろうと向かい合いました。
「いいよー」
「……いいのー?」
「いいよー」
らいぞうはおおきせんせーに捕まってストレスフルのさぶろうが甘えにきたのだと思ったのです。
らいぞうとさぶろうはそのまま立っていました。
さぶろうは、ちょっと考えてから、らいぞうをそっと抱きしめました。らいぞうはふむふむという様子でさぶろうをそっと抱き返しました。さぶろうが遠慮がちにらいぞうの首のところをもぐもぐすると、らいぞうは同じようにさぶろうの首のところをもぐもぐしました。
「くすぐったいね」
「うん、ちょっとくすぐった……あれっ?」
さぶろうはまた考えました。
「えーとね、らいぞうしなくていいよ。わたしがするんだから」
「ぼくもするねー」
「何でらいぞうがするの?」
「さぶろういつもぼくの真似してるでしょ。だからぼくも真似してみようと思って」
「そうかあ……ううん。なんかちがう」
「しちゃ駄目なの?」
「駄目じゃ……ダメ! ねてて!」
「えー?」
さぶろうは、ぺったり地面に張り付いているらいぞうの表をもぐもぐしました。それからよいしょっとらいぞうをひっくりかえして、ごろんとお腹を出したらいぞうのうらっかわをやっぱりもぐもぐしました。それからまた表をもぐもぐ裏をもぐもぐ、表もぐ裏もぐ、裏もぐ表もぐ……
そうすると、いつもとは違うことが起こったのです。さぶろうとらいぞうのふかふかの毛からパチパチという音が聞こえて、それから二匹の体がちょっと引っ張られるような感じがしました――これに違いありません!
らいぞうは今にも目が回りそうでしたが、さぶろうは大喜びです。
「わたしとらいぞう、つがいになったよ!」
「つがいって何?」
「ずっと一緒ってこと!」
それは毛と毛がからまって、まるでひとつのかたまりになってしまったような離れがたい感覚……つまり静電気です!
さぶろうはひと安心して、ぽてっとらいぞうのお腹のところへ頭をおきました。
「よーし! これで大丈夫……」
「何が大丈夫なの?」
「わたしとらいぞうずっと一緒ってこと……」
「一緒にいるよー?」
「そうだけどさあ……らいぞう、一緒に旅するのもいいかもね。おおきせんせーみたいにさあ……」
「さぶろう、おおきせんせーと何のお話したの?」
「一匹カンガルーもいいけどね、わたしたちはつがい狸だしね……」
さぶろうの声がもごもごなって、それから、らいぞうのお腹の上ですうすう寝息が聞こえ始めました。らいぞうは、「もー」と言いながらさぶろうの頭をふかふかした手でなでてあげました。パチッといってらいぞうの手に痛みが走りました。
「いたい!」
らいぞうが目を開けると、さぶろうがらいぞうの指を口から出すところでした。
「噛むなよ、さぶろう」
「君が途中で眠るからだろう」
「聞いてたよ。ちゃんと。そんなこともあったっけなあと思って」
「あったさ……」
らいぞうが体を起こすと、さぶろうは尚もらいぞうの指を何本かもぐもぐしようとしていました。らいぞうの手はさぶろうの牙から逃げて、さぶろうの顔を撫でました。
「あの後君と旅をする夢を見ていたな。私の腹にポケットをつけてその中に君をしまっていたような気もする。でも入りきらなかったんだ」
「そりゃそうだ」
いつからさぶろうはこんな眼差しをするようになったのでしょう。
らいぞうにはわかっていました。『あの事』があってから、さぶろうは大分ねじれてしまったのです。でもらいぞうはそれに言及しようとは思いませんし、ましてや責めるなんて考えもつかないことなのです。
さぶろうは昔と同じようにして「さぶろう」の毛皮を着たままですが、丈の足りなくなった間をらいぞうの毛を集めて作った襟巻で埋めていました。そしてそれだけでは足りずに、らいぞうの毛の手袋や足袋をつけており、それもまだあちこちがはみ出ていました。今、それらをするすると取って、這った姿でらいぞうへにじり寄ってきました。
「春のように穏やかなばかりではいられないよ。ああ、寒い」
「さぶろう」
「らいぞう、温めてくれ」
外は冬です。凍りつくような風が吹きすさんでいます。
確かに昔と今では何もかもが違いました。でも、さぶろうとらいぞうは今も抱き合って同じ夢を見ることができるのです。これ以上に望むことなどあるでしょうか。
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