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 裏々々山のてっぺんに一本松が生えていて、忍術学園への行帰り、旅人たちはそこで腰を下ろしてひと休みをするのです。三郎と雷蔵はそこまで来て、今日の遠出はこれでおしまいにしようと決めました。
 夕暮れが迫って、山の端へ赤い日がにじんでいました。
 燃えるような日の色が強くなるほど暗い影の色も増して、今まで凹凸のあった山の重なりも里の屋根も黒く塗りつぶされ伸びて、残るもののなにもかもが、くれないでした。
「赤いなあ」
「ああ」

 昨日の夜はずいぶん風が強かったのです。獣の唸るような音がしていて、これは雨戸をたてなければならないと思った雷蔵が部屋を出てみると、廊下の隅には黒い塊のようにして三郎が座っていました。行き交う風に交じって、むっと強い匂いがしました。風の音だと思っていたものが時々三郎の口から出ていました。
 三郎の帰りが遅いのを雷蔵は心配していました。きっとお使いに行ったのだとわかってはいましたが、三郎はいつも何も言わずに出てゆき、いつの間にか帰ってくるのです。玉子とはいえ忍者ですから、そうでなくてはならないのですが……
 しばらくの間、三郎は風に打たれ、瘧(おこり)になったようにしてぶるぶる震えていました。
 雷蔵は声をかけました。
「三郎」
 三郎はさっと立ちあがり曲がりへ消えました。
「……らいぞ……雷……わ……風……」
 聞こえませんでした。何を言っているのか聞こえませんでした。とても風が強くて。
 雷蔵が追っていくと、向こうから小松田さんがやってきて、さっき来た客に入門表のサインをし直してもらいたいと言いました。「帰ってきたのは三郎ですよ」と答えると、「そうなんだあ、じゃあこれはいらないから!」と言って入門表の紙を雷蔵にくれました。泥と血の混じった手形が叩きつけられた紙を。
「ああ、いい湯だった!」
 と気持ち良さそうに湯気を立てながら三郎は帰って来て、眠り、夢の中で激しく叫びました。雷蔵はその手を握って、もし三郎がそうしろと言うなら裸になって一緒に寝てもいいと思っていました。なんだってするつもりでした。
 今朝は良い天気でした。三郎はにこにこしながら雷蔵の好物を用意して、「たくさんおにぎりがあるから二人で食べたい」と言いました。ほとんど寝ずにいた雷蔵は頷きました。「うん、わかった」と。

 

 雷蔵はおにぎりを半分にして、三郎に渡しました。中身は玉子焼きでした。
「あ、これが玉子か。ふわふわしてる」
「味付け玉子でも良かったけど、君、玉子焼き好きだろう?」
「うん。好きだ」
 雷蔵はもぐもぐ頬張りました。もうお腹はいっぱいで、膨れてはちきれそうでした。次に三郎がおにぎりを割ると、中はきんぴらごぼうでした。
「さっき、しんべヱくんたちにはかわいそうなことをしたかな。熊の肝なんて貰えるわけもなし……」
 三郎はやっぱり半分を雷蔵に渡して、げふっとげっぷをしながら残りを口に入れました。
「仕様がないよ。あげられないんだから。このおにぎりが何十個あっても、何百個あっても、これは全部、僕と三郎で食べるんだから」
 三郎がゆっくりと、雷蔵へ顔を向けました。
「中身が全部僕の好物ばっかりでも、本当は毒でも、お前が用意した術でも何でもいいよ。僕とお前で何もかも飲み込むんだ。他の誰にもあげない」
「うん、雷蔵」
 二人の目がしっかりと見つめ合いました。夕陽を受けてきらきらと光る目の輝きが交差しました。
 それから、二人は同時にふきだしました。
「だから言っただろ。多いって!」
「いやあ、前にギンギン先輩とアヒル先輩で山ほどおにぎりを食べてたろう? 見てて楽しそうだったからさ」
「その後二人とも善法寺先輩のお世話になったんだよ! お前さ、もうちょっと考えて」
「だって私も雷蔵とやってみたかったんだよ!」
「知らないよ!」
 二人は肩や腹を小突きあいながら、笑いました。笑い過ぎて時々おにぎりがいくつか口から出てきそうになりました。ご飯粒がぽろぽろ飛び散るので、それを拾ったり相手の口へ押し込んだりするのに大変でした。
 せーので二つ割ってみると、ついにおかかが出てきました。三郎の方に。雷蔵の方は夏みかんでした。
「な……」
「ああ、おかかこっちに出ちゃったなあ、ほら雷蔵」
「なんか、みかんが入ってるんだけど」
「あ、それはお楽しみだよ。珍しいだろう夏みかんのおにぎり! 雷蔵、夏みかん好きだったよな」
「好きだけどさあ……」
 雷蔵はしぶしぶ食べました。半分にしたおかかとみかんを交互に食べてやっと飲み込むと、まだ食べ終わらない三郎が、「あんまり旨くない」ともごもご言いました。誰の所為なのか雷蔵は言いませんでした。
 それで、ついに、十五のおにぎりの最後のひとつになりました。
「じゃあこれは……」
 と言って三郎がぱっと割った時、中が燃え上がるように真っ赤でした。三郎は言葉をなくし、びりっと肩を震わせて、おにぎりを取り落としそうになりました。雷蔵が素早くその手に自分の両手を添えました。
「梅だよ」
「……」
「梅の色だよ、三郎」
 雷蔵は三郎の手を閉じました。おにぎりは割る前のひとつに戻りました。
 三人組もいないのに三郎が固まってしまったので、雷蔵は三郎の手からいびつになったおにぎりを取って皮へ乗せ、風呂敷の中へしまいました。それから、三郎の右手についたご飯粒をひとつづつ取って食べました。それが終わると、自分の右手と三郎の左手をぎゅっと繋いで立ち上がりました。
「帰ろう」
 日が終わってゆく時の、それはそれは赤々とした夕暮れの中を二人はゆきました。
 学園が近づくと、同じようにお休みの日を外で過ごして帰ってきた生徒たちとすれ違いましたが、二人の手はけっして取れませんでした。手についたご飯粒が糊の役目をしていたからでしょう。

 

 

 夜もふけてから寝まきの雷蔵はどこかへ消えて、そして小さな土鍋を持ってきて帰ってきました。三郎が顔を寄せると、雷蔵が座布団の上へ土鍋を置きました。
「何だい」
「夜食」
 夕ごはんを食べられないと言った二人を、何故だかおばちゃんは快く許してくれました。おかげで夜を回って二人は、ほんの少しだけお腹に空きができました。
 雷蔵がさっと蓋を取ると、ほかほかと湯気があがりました。中にはおかゆが入っていました。
「梅のおかゆだよ」
 梅の色はご飯と一緒にことこと炊かれて薄まって、おかゆは柔らかい、うすい桃色をしていました。三郎がうんと頷きました。
 二つのお椀に、やっぱり半分づつおかゆを分けました。そして二人は梅のおにぎりひとつ分のおかゆをふーふー吹きながら食べました。
「辛い。すっぱい」
 と三郎は言いました。雷蔵は「ごめん」と答えました。適当に塩を入れてしまったからです。それなりに水も足したのですが。
「雷蔵」
「もーなんだよぉ」
「ありがとう」
 こうして十五のおにぎりはきちんと三郎と雷蔵のお腹の中におさまりました。ああ、おいしかった。
 

 

おしまい