もりのおく

 

  

 ある時、らいぞうとさぶろうは二匹の仔狸でした。

 静かな森のおくのおく、岩影に隠れて小さなほら穴がありました。そこが、らいぞうとさぶろうのお家です。二匹は穴の中へやわらかい木の葉を沢山しいて、ねどこを作り、いつも二匹、仲良く丸くなって眠っていました。
 朝がきて、先にさぶろうが目をさまします。
 目がさめて一番に、さぶろうはらいぞうのお腹の匂いを嗅ぎます。ふんふん鼻を動かして、それから、ちょっとだけ手で毛並みをもこもこやって、それが終わると、まだ眠っているらいぞうに声をかけるのです。
「らいぞー、らいぞー、朝だよー」
 目の横を舌でぺろぺろしていると、らいぞうがむにゅむにゅ言いながら、片目だけを開けました。今朝のらいぞうは、いつもよりもちょっとだけ眠そうです。
「らいぞー、朝だよー」
「うん……でも、ぼくねむい……」
「でもらいぞー、朝だしさ。遊びに行こう。りんご取りに行こう」
「うん……でもぼくあとから行く……」
 それでらいぞうは、木の葉の中をごろっと転げてさぶろうと逆の方へ顔を向けてしまいました。
 さぶろうはいやだったので、手でよいしょっとやって、らいぞうの体をまたこっちへ向けました。
「らいぞー、朝だよー」
「……わかってるよお……」
「りんご取ろうよー」
「わっ、かっ……」
「……らいぞー?」
「……」
 らいぞうは寝ちゃっていました。さぶろうのほっぺたがみるみる内にぷーっと膨れました。
 さぶろうは、ちょっと後ろへ下がってから、勢いをつけて飛びました。
「らーいーぞーうー!」
 どしーんと音がして、さぶろうの体がらいぞうの上へ着地。らいぞうの口からぶぶーん! と変な音が出ました。押されたお腹の空気が外へ出たのです。
「起きてくれなきゃいやだよ!」
「うー! もー! さぶろう……! ひどいよお!」
 らいぞうはさぶろうの下で手足をバタバタしました。でも、さぶろうはらいぞうが起きるまでぜったいどかないつもりでした。
「ひどくないよ。らいぞうが起きないんだもん」
「うー……いたいよお……」
「……痛い? ちょっと痛い?」
「いたい……」
 のぞきこんでみると、らいぞうの眉がぎゅっと寄って、顔がぐんにゃり歪んでいました。
「あっ、らいぞう、痛かった?」
「いたい……よお……」
 さぶろうはあわててらいぞうの上から飛びのきました。頭をすりすりとらいぞうの顔へこすりつけました。
「痛かった? らいぞう、ごめんね? ごめんね!」
「……」
「ら……」
 らいぞうは寝ちゃっていました。

 どしーんを三回くらい繰り返したのでらいぞうは起きました。でも、ひどく不機嫌です。
「らいぞー、きっとりんご大きくなってるよ」
「……」
「赤くて、甘くて、おいしいよ」
「……んー」
 ふかふかの毛にたくさん葉っぱをくっつけたまま、らいぞうがふらふら歩くので、さぶろうはちょいちょい葉っぱを取ってあげました。前へ回って、らいぞうの顔をちらちら見ましたが、らいぞうは、はれぼったい目で下を見ているばっかりです。
 さぶろうは、わたし悪くないと思いました。らいぞうがぐうぐう寝てばっかりいるのが悪いのです。

 

 りんごを取る約束は二日も前からしていました。それから、ひと月も前からしていました。
 大きなりんごの木に花が咲いて、枯れて、そこへ沢山実がなった時、さぶろうとらいぞうは青い実のついた枝を首が痛くなるくらい見上げました。そのまま、幹の周りをぐるぐると回りました。
「いつ赤くなるかなあ」
「まだ青いね」
「赤くなったらいっしょに取ろうね!」
 そう、約束していたのです。
 その約束はりんごの木の下を通るたびに定期更新されたのですが、一番新しいのが二日前だったわけです。そろそろどのりんごも色づいて綺麗な赤になっていましたので、二匹は鼻を突き合わせて、
「とりごろだね!」
「とりごろだね!」
 と叫んで、ぴょんぴょんはねたのです。
 それから真面目な顔でよーく話し合って、
「あしたじゃあ早すぎる」
「しあさってじゃあ遅すぎる」
「「そうだ! あさってにしよう!」」
 って、決めたのです。なのにらいぞうはうとうとしています。今歩いているはしから半分寝ちゃおうとしているのです。
「らいぞー、さあ」
「……」
「約束したのにさあ」
「うんー……」
「わたし楽しみにしてたのにさあ」
 振り返ってみると、うとうとのらいぞうが道を外れて、怖い蛇のいる沼の方へふらふら歩いていました。さぶろうはあわてて追いかけて、らいぞうと手をつないで戻ってきました。
「もー! ほっとけないんだから、らいぞうは! あぶないあぶない!」
 さぶろうはちょっと嬉しそうに、大きな声で言いました。さぶろうはらいぞうのことが好きでした。

 

○○○

 

 さぶろうがらいぞうのところにきたのは二年くらい前のことです。
 さぶろうは、ぽこんと生まれて立って歩きだして、そして風のように走れるようになると、森のあっちこっち、山の上や下、あぶないにんげんたちの住むところまで行ってたくさん悪さをしました。
 沢へ山菜を取りにきた娘っこや、木こりや、買付の商人や、修行にきたお坊さんなどなど、数えきれないほどにんげんを化かしては遊んだのです。仲間はさぶろうをほめてくれました。末恐ろしいこわっぱだと言って、とっても期待をしてくれました。でも、なんだかさぶろうは窮屈でした。

 ある日、さぶろうが遠くの山へ遊びに来て、はずれの猟師小屋の前を通りかかった時です。ぷーんと生臭い匂いが漂ってきました。外の竿へひっかけられた仔狸の毛皮が、風にふかれてゆらゆらゆれていました。
 さぶろうはちらっと見上げて思いました。
 ――ははーん、にんげんの子供のてぶくろにでもするんだな。
 さぶろうは竿へよじのぼり、仔狸の毛皮をひょいっとまといました。そして妖術でちょちょいとやると、さぶろうは狸の顔が付いて、身のたけが軽く小屋を越えた大きな毛皮のてぶくろになっていました。
「うおおおおおおおおおおおお」
 熊みたいに気持ちの悪い声をあげながら小屋の窓をのぞきこむと、中でおいしい狸鍋にしたつづみをうっていた猟師たちが、巨大な狸の目に驚いて外へ飛び出してきました。そして今度は大きな大きなてぶくろがのしのし歩いてくるのを見ると、「狸のたたりだああ!」と悲鳴を上げながら、走ってふもとへと逃げていきました。
 さぶろうは大満足で、きゃっきゃと喜んで、そのまま仔狸の毛皮を着て、自慢げに知らない森を歩きました。
 しばらく森のおくへ行くと、小さな狸の子供がわんわん泣いていました。
 さぶろうは、ふーんと横目で見て通りすぎましたが、ちょっと気になって引き返しました。
 ――どこかで見たような気が……
 それで自分の毛皮と仔狸の毛皮をよくよく見てみると、そっくりでした。どうやらこの毛皮は泣いている仔狸の兄弟のもののようです。さぶろうが近寄ると、仔狸がくんくん鼻を動かして、ぱっと顔をあげました。それから涙がいっぱいの目でさぶろうをじっと見て、飛びついてきました。
「さぶろう!」
「えっ」
「さぶろう! さぶろう!」
 仔狸はさぶろうをぎゅっと抱きしめて、またわんわん泣き出しました。
「いっぱい探したんだよ! さぶろう! もうどこへも行かないでね!」
 それが、らいぞうでした。

 

 らいぞうは、子だくさん狸の一家に生まれた三つ子の一番上のお兄ちゃんでした。雷みたいにぽこーんと生まれてきたので、らいぞうという名前をつけてもらったのです。
 二番目に生まれてきた弟のじろうは、にんげんにつかまって食べられてしまいました。お父さんもお母さんも他の兄弟たちも、にんげんにつかまって食べられてしまいました。らいぞうの家族は、ちょっとのんびりした家族でした。
 らいぞうは、三番目に生まれてきた弟のさぶろうと森のおくへ逃げて、二匹っきりで穴の中に暮らしていました。でもその朝目がさめたら、さぶろうはいなくなっていたのです。
「森のみんなはね、きっとにんげんにつかまって食べられてしまったんだって。だけど、そんなのもういやだったから、僕いっしょうけんめい探したんだよ。そうしたら、さぶろうは帰ってきたんだ! よかったね、さぶろう!」
 それを聞いて、さぶろうは「わたし、さぶろうじゃないよ。狐だよ」と言えなくなりました。さぶろうは、本当は狐の子供でした。
 いえ――本当は、言いたくなくなったのです。言ったら、らいぞうはまたおんなじようにしてわんわん泣きだすに違いありません。なぜだかわからないけれど、さぶろうは、それがいやでした。
「にげてきたんだよ! こわかったんだよ!」
 と言ってさぶろうは、らいぞうのお腹に顔をうずめました。らいぞうは、またぎゅっとさぶろうを抱きしめて、ふかふかした手でさぶろうの頭を撫でてくれました。
「えらかったね! えらかったね、さぶろう!」
「うん。ええと……えーと……君の名前、なんだったかなあ」
「僕、らいぞうだよ。さぶろう、どうしたの?」
「どうもしないよ! こわかったから、ちょっと忘れてしまったんだよ!」
「そうかあ。こわかったね、さぶろう!」
「うん、こわかったんだよ、らいぞう!」
 そんな風にして、さぶろうとらいぞうは出会いました。

 さぶろうには、名前がありませんでした。「さぶろう」という名前をもらう前の、さぶろうには。
 らいぞうがぱかっと笑顔になって、「さぶろう!」と呼ぶと、さぶろうは胸の中がぽかぽかしました。それからこっちも「らいぞう!」と呼び返すと、もっとぽかぽかして、嬉しくて、嬉しくてたまらなくなりました。さぶろうは「さぶろう」が気に入りました。
 さぶろうは、らいぞうと一緒にいるのが好きでした。
 ――らいぞうが泣かなくなるまで。あとちょっとだけ、あとちょっとだけ……
 そう思っているうちに、さぶろうは狐の群れへ帰ることを忘れてしまったのです。いいえ、本当は覚えていましたが、さぶろうは帰らないのです。さぶろうはらいぞうが好きでした。