「くれない」の段

 

 

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 雷蔵が目を覚ました時には、三郎の用意はすっかりできていました。
 あんまりにも気持ちの良い小春日和です。格子の間から澄みわたった空を見ていた三郎はくるりと振り返り、今にも飛び跳ねそうな様子で叫びました。
「雷蔵、おにぎりが沢山あるから外へ行こう! どこかいい場所へ行って二人で食べよう!」
 半分目が瞑ったままの雷蔵は急かされて迷う暇もなく、「雷蔵、着替え!」「うん、わかった」「雷蔵、風呂敷!」「うん、わかった」、そんな調子で長屋を出ました。
 道の途中でやっとしっかりしてみると、三郎は大きな風呂敷の包みをしょっていて、にこにことなりを歩いています。
 二人はぐるぐるうずまきの服に茄子紺の袴をはいて、今日も頭のてっぺんから足のつま先までそっくりです。違うのは風呂敷の大きさと顔つきくらいのものでした。
「……三郎、大丈夫?」
「そりゃ君がだろ。目が覚めたかい」
 雷蔵はごしごし目をこすりました。
「ああ、うん。それだよ。随分大きい包みだからさ。何が入ってるの」
「おにぎり」
「中身は?」
「梅干し」
「全部?」
「そう、全部梅干し。君が迷うからと思って」
 雷蔵は聞いたのを後悔しました。

 裏山の中腹に広い野の原がありました。
 そこまで来て、三郎が「ここでいい」と言うので、雷蔵は「うん」と頷きました。二人はおにぎりを食べることにしました。ほとんど歩いていないようなものでしたが、目的はおにぎり、おにぎり。
 見渡す限りの草原へ二人は腰をおろしました。風が優しく、さわさわと緑の草が揺れて、いつまでも吹かれていたいような心地よさです。昨晩強く打ちつけたのが嘘のようでした。
 三郎が大きい風呂敷の中から竹の皮の包みを五つ、せっせと取り出しました。そして全部の皮を開けてみると、おにぎりが三つづつ、それぞれきちんと並んでいました。全部で十五のおにぎり。
「ええっ、これ全部!?」
「そう! 驚いたか雷蔵」
「や、驚いたけど! ちょっと多くないかぁ?」
「そんなことはないさ。まあ食べてみればわかる」
 その後風呂敷からは竹筒が二本出てきました。雷蔵は筒を受け取ると、水をひとくち飲んで、それからずらりと並んだ梅干しおにぎりを、なんだかおそるおそる食べました。
「うまい!」
 ふっくらとしたご飯はそれはよい塩加減で、口の中ぱらぱらとほどけました。おにぎりの中身は鮭でした。炙った皮の香ばしい香りがふわっと広がり、噛みしめると鮭の油が舌の上でとろけました。雷蔵は笑顔になりました。
「全部梅だって言ったくせに」
 三郎はもうこれ以上になく満足そうでした。雷蔵を見て、足をばたつかせました。
「君が迷うのなんかわかっていたからな。中身が一つづつ違うんだ。どれだかわからなけりゃ迷いようもないし、それに、こっち方が絶対に楽しい!」
「うんうん」
「半分おくれ」
 二人は雷蔵が一口食べた鮭を半分こして食べました。それから三郎が取ったおにぎりを割って中が筍だったのを見て、やっぱり半分づつ食べました。
「こんなに手の込んだの、よくおばちゃんが作ってくれたなあ。言ったら怒られたろ?」
「実は私が作ったんだ」
「だろうと思った。それだって材料費だとかさ」
「ちょっとお使いをしたから。それで特別に分けて貰ったのさ」
「なるほどなあ……」
 二人は木陰でたわいもない話をしながら、また食べて、「あっタラコ」「こっちはおしんこ」と時々はしゃいだ声をあげました。やっぱりどれも半分づつ食べました。
 雷蔵が並べたおにぎりを、顔の方向を変えながら何度も見ているので、三郎も同じように覗きました。
「何だい?」
「横から見たら中身がわかるんじゃないかと思って」
「いや、わからないよ。そう作ってある」
「少しくらいは透けてるかもしれないし。汁とかさ」
「そんなはずはない」
 二人の頭が同じように、左、右、と振れました。
「見えないったら」
「うーん」
「何が食べたいんだ」
「おかか、かなあ……」
「入っているよ」
「どこに」
「さあね」
 その時ふうっと風が吹いて、雷蔵のふくれた髪がおにぎりに貼り付きました。
「あー!」
「そんなに顔を近づけるから」
 と言うや否や、同じ格好をしていた三郎の髪もべったりとおにぎりに貼り付きました。
「あー!」
「何やってるんだよもう」
 雷蔵は慌てておにぎりを剥がしましたが、髪にはご飯粒が沢山ついてしまいました。苦心しながら一粒づつ取っていると、三郎が「手伝うよ」と言って雷蔵の髪をさぐりました。
「いいよ。お前も同じだろ」
「そうかな」
 三郎は髷に手をやるとすぽっと引き抜いてふところに仕舞い、同じ場所から出した新しい髷を差し込みました。
「はいこの通り」
 雷蔵はなんだか腹が立ちました。

 

 くっついたおにぎりはしらすと佃煮でした。ちょっと表面がぼろぼろになったおにぎりを、二人がわけて食べ終えた時です。向こうから見覚えのある人影が三つ、高らかに歌いながら歩いてきました。
「しほーろっぽーはっぽー」
 三郎が寒い日外へ出た時の一歩目のようにして固まりました。おにぎりを包んだ皮をさっと後ろへ回そうとして……でもできませんでした。雷蔵ならきっと分けてあげようと言うに決まっています。
 一番に鼻のきくしんべヱが、ひかりの速さでやってきました。
「わあ、こんにちはぁ、不破先輩と三郎先輩! それなんですかぁ!」
「どう見たっておにぎりだろ」
 二番手のきり丸の目は一包みいくらで売れるかを計算していました。
「もー二人とも速いんだから! 今日は、不破雷蔵先輩と不破先輩の格好をしている鉢屋三郎先輩」
 乱太郎が遅れてきて、ぺこっと頭を下げました。やっぱり眼鏡の下の目がちらっと三角おにぎりを見ていました。
「やあ、乱太郎くんにきり丸、しんべヱ」
 雷蔵が明るく言いました。
 三郎は固まったままでした。以前、雷蔵と二人して焼いた石でみそうずを作っていた時、似たようなことがあったような気がします。どうやら一年は組の「は」は、「はいえな」の「は」です。
 三郎と雷蔵の前には、三つの皮が開いてそのまま置いてありました。明らかにこれから食べようという具合のおにぎりが、皮の上にぴかぴかと並んでいました。
「おいしそ〜う……!」
 しんべヱが顔中を口にして覗きこみました。
 今にも涎が落ちそうという時です。雷蔵がさっとおにぎりの皮を閉じました。そして二つを胸元の包みへしまい、もう一つを三郎に渡しました。
「これは兵助や八左ヱ門たちの分なんだ。はい、三郎も持てよ。僕らのはもう食べちゃったし、これから届けなきゃいけないから。ごめんね」
 しんべヱが叫びました。
「えー! だって開けてたのにぃ」
「どれが僕らのだか迷ったから、一度開けて見てただけだよ。乱太郎くんたちはどこへ行くの?」
「ええと、僕らは裏々山の方でマタギさんが熊をさばくっていうんで見学に……あ、そういえば竹谷先輩ならさっき向こうの薮で見ましたよ」
 乱太郎が指さしました。
「じゃあこれから行ってみよう」
 雷蔵がにっこりして立ち上がりました。それを見て三郎も立ち上がりました。
「やあ、教えてくれて助かったよ」
「すぐ行かなきゃ。どこかへ行っちゃうかも」と乱太郎がその場で駆け足をし、
「うん、ありがとう乱太郎くん」
「早く渡さなくっちゃ!」としんべヱはどしんどしんと跳ね、
「ああ。またね、しんべヱくん」
「僕たちィ、送りましょうか?」ときり丸がねばっこい声を出しました。
「いやいい。私と雷蔵で行けばわかるさ」
「きり丸、熊には気をつけるんだよ」
 三郎と雷蔵とよいこの三人組は、にこにこしながら別れました。

 

 

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「いるな」
「いるいる」
 もちろん三人組はついてきていました。岩の影や、茂みから、髷や眼鏡や襟巻の端がちらちらと覗いています。
「もー、何で来るんだよ」
「熊はあっちだろぉ」
 三郎と雷蔵はおかしく思われない程度に早く歩きました。三人組は本当は隠れる気などほとんどないのか、駆け足でついてきました。
 そうこうしているうちに、大きな薮が見えて、そこから見覚えのあるぼさぼさが覗いていました。さあ声をかけないわけにはいきません。
「おーい、八左ヱ門ー!」
「おお? 雷蔵と三郎か。何でこんなところに?」
 薮の続きのような髪が持ち上がり、竹谷八左ヱ門が顔を出しました。
「何でってわけでもないけど、そっちこそ何しにこんな薮の中へ……」
「言わずもがなだよな」
「そうなんだ! また逃げた!」
 ぱっと快活な笑顔がはじけました。二人はあえて何がとは聞きませんでした。三人組はすぐそこまで迫っていました。
「で、何だよ」
「あのさあ……三郎、割ってくれ」
 雷蔵はおにぎりの皮を取り出して開けると、三郎に中の一つを渡しました。三郎がそれをぱかっと半分にしました。
「これは塩こんぶ」
「うん。八左ヱ門が一番好きなのって塩こんぶ?」
 雷蔵が覗きこみながら言いました。
「具の話なら違うけど」
「そうかあ。じゃあ仕方がない」
 雷蔵は三郎からおにぎりの半分を受け取って食べました。もう半分を三郎が食べました。
「え? 何で食うの?」
「違うんだろ? えーと、次何だった?」
「これは山菜」
「じゃあ一番好きなのは山菜?」
「……いや、一番じゃねえけど」
「だよなあ。でも僕は好き」
「私も好き」
 それでまた二人は半分づつ山菜のおにぎりを食べました。もう一度同じことをして皮の中がすっかり空になった時、三人組が追いつきました。ちょうど竹谷先輩が哀れっぽい声で叫んでいる時でした。
「なあ、なあ今の海老だったろ? 何で食うんだよ!」
「だって、一番じゃないんだろ?」
「……何してるんすか」
 きり丸がいぶかしげに声をかけました。
「あれ、また会ったねきり丸くん」
「熊はいいのかい?」
 三郎先輩と雷蔵先輩は今気づいたように言いました。
「……いいですけど、ばくばく食っちゃって。それ竹谷先輩のじゃないんすか?」
「ああ、見てたのかい。それがね、八左ヱ門はどれも好きな具じゃないって言うんだよ。どれを開いても違うと言うから」
 と言って雷蔵先輩は右へ。
「それで私たちが代わりに食べていたというわけさ。なにしろこれじゃないというのを無理に勧めるわけにはいかないし、でも勿体ないからね」
 三郎先輩は左へ動いて、綺麗な左右対称になりました。
 確かに遠くから見ていると、二人が笑顔で差し出すおにぎりに竹谷先輩が首を横へ振っているようにも見えましたが……
「あ、そういや彼らはこれから裏々山で熊をさばくのを見に行くって」
「へーえ。どの辺で?」
「ええと、森の小屋の……」
 三人組が生物委員の生物話に捕まっているうちに、三郎と雷蔵はさっと歩き出しました。乱太郎としんべヱが何か言ったようですが、うっかりしていて聞こえませんでした。
 三人組から遠ざかり、しばらく薮の傍を進んでいると、がさがさとして藪が割れ、中の近道を通ったらしい竹谷の顔が出てきました。
「なあ、どうせあいつらがにぎり飯をせがむから逃げてるんだろ?」
「そうなんだ」
「よくわかったな」
「わからいでか! そこで頼みなんだが、俺はまあいいけど後ろに孫兵がいるから一つやってくれないか? 今朝から探し通しで昼も食べてなくってな」
 すると薮の中がまたがさがさいって、おなじみの蛇を首に巻いた伊賀埼孫兵がひょっこり白い顔を出しました。
「僕は構いません。でもじゅんこが腹を減らしているみたいだ……そうだねじゅんこ、お腹が空いたんだね」
「わかったわかった。じゃあ、こいつのじゅんこに一つやってくれよ」
 三郎と雷蔵は顔を見合わせました。
「ごめん、もうないんだ」
「今度蛙やるよ、じゅんこちゃん」
 また早足で歩き出した三郎と雷蔵の後ろ姿を、生物委員の二人がぽかんとした顔で見送りました。