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やっと三人組が追いついた時、雷蔵先輩と一緒にいたのは三郎先輩ではなく久々知兵助先輩でした。三人が草陰から顔を出すと、かねし合わせたかのような上手い具合に、雷蔵先輩はさっとおにぎりを差し出してこう言い始めました。
「はい、これは兵助の分だよ。三郎は今別へ持って行ってるからいないんだけどさ」
久々知先輩は、立てたてのひらを前へ突き出しました。
「なるほど。良くわかったけど俺はおにぎりは食べないんだ。俺の身体は豆腐でできているから、他のものを食べると老いて乾いて、あっという間に死んでしまうのだぁ」
今日も久々知先輩は有無を言わせないところがありました。雷蔵先輩は大きく頷きました。
「そうだったのか、兵助! そりゃあ大変だなあ。じゃあこれは僕と三郎でいただくよ」
「そうしてくれ……と言いたいところだけど、折角お前が持ってきてくれたんだし、一つくらい貰うッ」
「えっ、でも」
久々知先輩はおにぎりの一つにがぶっと噛みつくと、途端に喉を押さえてひっくり返りました。長い黒髪が生き物のようにして、びたんびたんとのたうちました。
雷蔵先輩が残りのおにぎりをしまいながら、別の手で慌てて久々知先輩の身体を支えて座り込みました。
「兵助!」
「う、うう……これは……うなぎ……」
「えっ、うなぎ? すごいのが出たなあ……じゃなくて兵助、しっかりしろよ! だから言ったのに!」
雷蔵先輩は久々知先輩の食べかけのおにぎりに素早くかぶりついて、もごもごと口に押し込みました。少し大きかったのか雷蔵先輩の頬が栗鼠のようにふくれました。
「……らいぞ……どうして……今食べ……」
「ほれふまい! はっておひそうらったからは! へいふけ! ほい!」
「……何を……言ってるのか……わからないけど、俺はもう駄目だ……あとのおにぎりは頼む……」
「へいふけ! へいふけー!」
その手がぶらんと下へ垂れ下がり、青白くなった顔が傾いて三人組の方へ向いた直後でした。
久々知先輩の顔はぶくぶくいいながら溶け始めました。泡がわいて柔らかくふやけた顔の表面はゆっくりと割れ、まるであの四角い食べ物のように白く崩れてボタボタと下へ落ちました。
「うわあああああああ」
雷蔵先輩が本気の悲鳴をあげました。
「ひいいいいいいいい」
三人組も立ち上がって叫びました。
しばらく溶け続けた後、久々知先輩の顔はつるつるののっぺらぼうになりました。目も鼻も口もとろけて落ちて、どろどろと地面へ広がりました。
雷蔵先輩は心なしか青ざめて、顔のなくなった久々知先輩を抱いたまま呆然としていました。三人組はそっと草陰から出てきました。
「あ、あのぉ〜……もしもし?」
「何やってんすか」
「先輩方ぁ……流石にそれはないんじゃないかと」
覗きこもうとしたところで、顔のない久々知先輩が雷蔵先輩の腕の中でむくっと起き上がり、素早く地面から目鼻を拾い集めて顔へ貼り付けました。そしてぺろっと頭を両手で撫でると、やはり雷蔵先輩の顔をした三郎先輩でした。
「あーあ。だから違うって言ったろ。君がうなぎに欲を出すから。何がへいふけだ。私が溶け終えてから食べる手はずだったのも忘れて」
「だって今にも落ちそうだったから! じゃなくってお前なあ!」
雷蔵先輩はごろんと荒っぽく三郎先輩の身体を転がしました。三郎先輩は少し転がって戻ってきました。
「おいおい」
「顔が! 本当に気色悪いんだよ! 間近で見てる僕の身にもなれよ……もう、乗るんじゃなかった。寒気がする」
「豆腐の化け物だからこれでいいんだ。中々真に迫った溶け方だったろ?」
「一応言うけど、兵助は人間だからな」
「平気でうなぎ食べてたじゃないか。私はあんまり味わえなかったのに……」
そこで三郎先輩の手がすうっと雷蔵先輩の肩を抱き、二人の顔へ影が落ちました。雷蔵先輩は一瞬だけ迷ったようでしたが、すぐに手のひらを突き出して三郎先輩を向こうへ押しやりました。
「……それは……できない」
「まあ、そりゃそうだ」
三郎先輩が立ち上がり、白けた目の三人組にぱっと振り返りました。
「というわけで、君たちも知っての通り大の仲良しで有名な先輩たちが、しつこい後輩のために無意味な喧嘩を始めてしまったよ! そろそろ責任を感じるだろう?」
「いや、あんまり」
「僕らの所為だけじゃないような気が……」
「おにぎりくれないからですよぉ」
効果がないようです。なんたって三人組はこういうことに慣れてしまっていますからね。
「まいった。本当にしつこいな」
「君がへいふけとか言うから……へいふ……ふふ」
「こりゃあ、ちょっとやそっとのことでは立ち去ら……三郎?」
「ふふふ……へいふけって……ふふ……くっくっく……」
「……三郎」
三郎先輩は腹を抱えてくっくっと揺れ始め、止まらなくなりました。
「もう! いいから早く来いよ!」
不貞腐れた様子の雷蔵先輩が腕をひっつかんで引きずってゆきました。
これはちょっとした事件でした。
奇想天外な三郎先輩はともかく、優しい雷蔵先輩がこんなにも頑なに拒むのです。たくさんあるはずのおにぎりを、どうしてもくれないのです。
三人組はどうしても真相が確かめたくなりました。その真相の先に、きっとおにぎりも待っていると信じて。
しばらくして、先を歩いていた三郎先輩と雷蔵先輩のうち、雷蔵先輩だけがくるっときびすを返して帰ってきました。大きなため息をついてから、きっぱりと言いました。
「ついて来たって、おにぎりはあげないよ」
「でもまだたくさんあるんだしぃ、僕らたった三人ですからぁ」
しんべヱが嬉しそうに言いましたが、雷蔵先輩は困った顔をしただけでした。
「僕たち本当のことを知りたいだけなんすよー。だってそんなにもったいぶられちゃあ、おにぎりの中身は金銀財宝かあ? なぁんて想像もしちゃうでしょお!」
きり丸も至極嬉しそうに手を揉みましたが、雷蔵先輩はやっぱり「なるほどねえ」と頷くだけです。
いつもならこの辺りで雷蔵先輩は折れて、仕方ないなあと言って三人に一つづつおにぎりをくれるはずですが、何故か今日はそのお約束が起こりません。
「今までの全部嘘なんでしょう?」
「そうだよ」
「どうしてです? 竹谷先輩は困ってたし、久々知先輩だって知ったらきっとびっくりしますよ」
乱太郎はおにぎりはそんなに欲しくありませんでしたが、優しい不破先輩がたくさん嘘をついたことを悲しく思いました。雷蔵先輩の眉毛がきゅっとハの字になりました。
「見てたろ。君たちにだけあげたくないというんじゃないから、もう勘弁してくれないかなあ。あっ、熊は? 早く行かないと見るものがなくなるかもしれない。もしかすると肝を分けてくれるかも」
あやすように言われて、三人は首を振りました。
「そんなあ!」
「せめて理由だけでも聞かせて下さいよお」
「理由なんて別に……ああ、でも君たちも忍の端くれだ。甘やかすのもよくないかなあ……いや、だけど……うーん……でもさ、今までの僕の態度でわかったことがあるだろ?」
「えっと、不破先輩はそのおにぎりをすごく大事にしているってことです」
「僕らに一つもくれないってことです!」
「そろそろ腹いっぱいなんじゃないかってことすかねえ」
雷蔵先輩は首を横に振りました。
「全部はずれ。つまりね、僕と三郎はこのおにぎりに入っているあるものをどうしても食べなけりゃなけりゃならないんだよ」
しんべヱの目と目の間が広くなり、乱太郎ときり丸は考え込みました。
「え、ええっとお……? じゃあ例えば、雷蔵先輩がおかかで」
「三郎先輩が梅だとか?」
「うん……まあ、そういうことだと思ってくれてもいいね」
きり丸がぱちんと指を鳴らしました。
「そりゃあしんべヱの出番だぜ! ここへおにぎりを並べてくれさえすれば、しんべヱの鼻がすぐに中身を当ててみせますよ。なあ、しんべヱ」
「お任せ下さいっ!」
「いやだからさ、どれかというより……」
そこで雷蔵先輩の後ろから、すっと差し出されるようにして三つ並んだおにぎりが出てきました。
「雷蔵、君がそうやって甘やかすから」
「三郎」
いつの間にか三郎先輩が雷蔵先輩の肩へ顔を乗せて立っていました。そして「いざ!」としんべヱが大きく息を吸いこもうとしたところで、三郎先輩はぎゅっとその鼻をつまみました。
「何するんれすかあ〜」
「嗅いでもわからないよ。無味無臭の毒だから」
「ど、毒ぅ!?」
しんべヱが一歩後ずさりました。
「そう。この中には全て飲み込むことでしか打ち消されない毒が少しづつ入っている。いままで私と雷蔵はそれを分け合って食べてきたのさ。ここで君らに奪われてどれかが欠けてしまっても、私には雷蔵がいるし雷蔵には私がいるからまあ大丈夫だろう。でも、君たちはどうかなあ……私も雷蔵も何か起こったところで決して君たちを助けないが。それでもいいなら、あげるよ」
さて、誰もが口に出しては言わないことでしたが、三郎先輩は時々不気味でした。くるくると鮮やかに変わる顔と顔の合間にあるのは暗い影でした。雷蔵先輩の顔をして笑っているその後ろに見てはならない何かが浮かんでいました。
「どうした? 取らないのかい?」
三人は手を出しませんでした。
もしかするとこれは三郎先輩と雷蔵先輩がお休みの日を返上で受けている授業なのかもしれない、と乱太郎は思いました。きり丸はこのおにぎりは売れないと思い、しんべヱは突然このおにぎりは美味しくないのだという気がしてきました。
雷蔵先輩は、ぐっと目を開いてものも言いませんでした。それが何より三人組の手を止めました。これが悪戯や嘘なら、雷蔵先輩がこんな顔をするはずがありません。あるいは嘘でも、雷蔵先輩にこんな顔をさせる嘘には何か恐ろしいものが隠れているに決まっているのです。
やっと三人は、追いかけてはならなかったのだと悟りました。どうやら今日はお約束のない日です。
「あの、私には今ここにきり丸としんべヱがいるけど、それじゃあ駄目なんですか?」
「駄目だね」
「なんだかわからないけど、売れないんならやめときます」
「それがいいよ」
「五年生になるとこんなへんてこな授業があるんですかあ?」
「どうかなあ、ハッハッハッ。しんべヱくん、君本当によく伸びるね」
三郎先輩がしんべヱのほっぺたを伸ばしてぱっちんと手を放しました。
逆の方向へ走り出した三人組を、三郎と雷蔵は見送りました。きっと熊の腹の中はもう出てしまっているでしょうが、きり丸のことですから毛皮をむしり取るくらいのことはするかもしれません。
「もうついて来ない」
「うん」
「行こう。日が暮れる」
歩き出してからも、三郎はじっと見つめてきました。雷蔵は見返して言いました。
「次は何が出るかなあ」
「……ああ、うん。きっと次こそおかかだな」
「そう思ってると梅が出てくる気がしてきた」
「玉子かも」
「へえ、玉子なんてあるの?」
「なかなか旨いんだ。共食いだけど」
「気色悪いこと言うなよ」
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